Marieです。
最近、我が家からカントリータウンへ来る道で、菜の花がとても綺麗に咲いています。
やわらかい黄色が一面に広がっていて、春がちゃんと来てるなぁと感じる、やさしい景色です。
そんなあたたかい気持ちを感じつつ、先日、少し寂しい話を聞いた事を思い出しました。
私が生まれた頃からずっと見てきた、町の公園の桜の木が、全部伐採されることになったそうです。
小学生の頃も、中学生の頃も、高校生の頃も、毎年当たり前のようにその桜を見てきました。
子どもの頃は、幹に両手を回せばぎりぎりひとりで抱えられるくらいの太さだったと思ったのに、今では大人が二人いないと抱えきれないほどの、大きくて貫禄のある桜になりました。
娘の入学や卒業のたびに、その木の下で記念写真を撮っていました。

今は亡き父と母も、この桜が咲くのを楽しみにしていました。
その桜は、子どもの頃から大人になった今までの時間を、ずっと見守ってくれていたのだと思います。
家が近い事もあり、人生の節目にはいつもその桜がありました。
私や町内の人たちの中ではきっと、ただの「木」ではなく、時間を一緒に重ねてきた存在だったと思います。
私の住む町は、1960年代後半に県によって造成された大規模な住宅地で、この桜もきっと、その頃に植えられたもの。
長い時間をかけて、町の風景になり、住人の記憶の中に根を張ってきた木だと思います。
最近は、クビアカツヤカミキリなどの被害で、伐採されてしまう桜も増えているそうです。
仕方がないことだと分かっていても、やっぱり寂しい。
町内では、この桜の最後を見届けるように、急遽お花見のイベントが開かれる事になりました。
なくなると聞いたとき、初めて、その存在の大きさに気づきました。

今はまだ3部咲きくらい。
時間を一緒に重ねると言えば、
家も、同じです。
新しく建てたばかりの家には、まだ思い出は少ないけれど、毎日の暮らしの中で、少しずつ時間が重なっていく。
何気ない日常や、家族の節目、笑ったことや、悩んだことも全部含めて、その場所が「ただの建物」ではなくなっていく。
そしていつか、
その家が次の世代へと受け継がれていくとき、そこに積み重なった時間や記憶も、一緒に受け継がれていくのだと思います。

今日見た菜の花の明るさと、なくなってしまう桜のこと。
どちらも、暮らしの中にある大切な風景です。
カントリータウンでは、世代を超えて受け継げる家をつくります。

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